カウナスの杉原記念館に行ってきました。カウナスでもあまりメジャーな観光地ではなく、訪問するのはほとんど日本人かユダヤ系の人なので、日本語パンフレットが準備されていました(リトアニアの観光スポットでは珍しい)。
場所
メインの観光スポットからは離れていますが、カウナスバスターミナルから近く、徒歩11分ほど。現在は住宅街になっている中にひっそりと建っています。
旧日本領事館の建物を記念館にしていると聞いていたので、大きいものを想像していましたが、一般住宅と同じサイズの建物です。この日はウクライナ侵攻後だったため、日本・リトアニアの国旗の他、ウクライナ国旗も掲げられていました。
入場料5EUR(学生2.5EUR)です。
Google mapをみて気づいたのですが、日本語名称は”杉原記念館”ですが、英語名称は”Diplomats for Life)と外交官が複数形になっています。展示も、杉原千畝と、同じようにリトアニアでユダヤ人に命のビザを発行したオランダの外交官ヤン・ズヴァルテンディク(Jan Zwartendijk)に関する展示もされているためです。
入口すぐの部屋には、領事室を再現した部屋があります。
机は杉原千畝が使ったものではありませんが、同時代に作られたものを設置しているとのことです。
当時の実際の文書が置いてあります。
命のビザの発行に実際に使われたスタンプ。記念に押して帰れます。
ドキュメンタリーなどの当時の映像で、多数のユダヤ人がビザを求めて集まっている映像を見たことがあり、その時は赤坂のアメリカ大使館のような建物の規模感
と距離感を想像していたのですが、実物を見てみると、建物から1mほど先の通路から非常に近い距離で建物が取り囲まれていたことがわかります。
展示は英語・日本語などの複数の言語でされていましたが、すべての内容がすべての言語に訳されているわけではなく、例えば「ビザを無許可で発行している杉原千畝に対して日本政府が中止勧告を出している電報」などは展示されているが、英語表示では”日本政府からの通達”とのみ表記されていて、具体的な内容は記載されてませんでした。私が行った同じ時間帯には別の日本人観光客が1人いただけだったため、説明映像を日本語で見ましたが、英語などの別の言語バージョンも見てみたいと思いました。
ビザを入手したユダヤ人たちは、シベリア鉄道でウラジオストクまで行き、船で敦賀から入国、敦賀から神戸、神戸から最終目的地というルートで1944年までに全員出国したそうです。”最終目的地”とされていた国は、アメリカ、イギリス、カナダ、南アフリカ、オーストラリアなど、英語圏の国がほとんどでした。